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INTERVIEW.10

神村絵理香さん Erika Kamimura

​#人材育成事業 #地域おこし協力隊 #ウミガメプロジェクト

 「一緒に働いていた佐藤さんという方との出会いで、仕事以外の暮らしの楽しみを教えてもらいました。いろんな人と出会わせてくれたんです」

 そう話すのは2023年5月から駒ヶ根の地域おこし協力隊として働く神村絵理香さん。現在は、ウミガメプロジェクトで地元高校生の人材育成事業に携わっている。「もともとは人とかかわるのが苦手でした」と語る神村さんがなぜ人を育てる仕事をするようになったのか、これまでの話を伺いました。

 

 木曽町の出身の神村さんは高校まで地元で過ごし、卒業後は「極力人と関わらない仕事がよくて」岐阜県中津川にある工場で検査員として働くことになる。そこで神村さんにとって運命の出会いが待っていました。

 「その工場で一緒に働く佐藤さんという方に出会ったんですけど、すごく人生を謳歌しているひとでした。とても気さくな方で、その方がいろいろと仕事以外の人生の楽しみ方を教えてくれたんです。一緒にライブに行ったり、大阪や東京まで行ったり、わたしを外の世界に連れ出してくれたんですね。その経験があって、人と関わることって楽しい!と思うようになりました」

 

 その後、7年間の工場勤務から飲食店へ転職。「ひとと接する仕事ってこんなに楽しいんだって目覚めてしまった時期でした」と話す神村さん。3年務めた飲食店の閉店にともない、約10年間の田舎での社会人生活から今度は都会に行くことを決意をする。踏み切った理由は、今のまま田舎で暮らすのもよかったけれど「自分を磨き上げるための、修行をしよう」という気持ちだったという。そんな神村さんの行動をお母さんも前向きに応援してくれた。自分に一番近い家族に応援してもらえたことで「どこでも生きていける気がした」。そして東京は立川の百貨店内にある子どもたちが遊べるテーマパークで働きはじめる。

 

 「ちょうどコロナ禍になってしまい、その3年間東京で働いていたので、もまれに行ったような、もまれきれなかったような(苦笑)。初めての東京での生活がコロナ禍だったのでコロナの不安はすごいありましたね。あと東京って生きてくだけでこんなにお金がかかるんだって、貯金ってあんまりできないんだなって思いました。」それは田舎暮らしが長かった神村さんの率直な感想だった。

 そしてコロナ禍が明けて、街に人の賑わいが増えた頃、「わたしこんなに人が多いところで生きてゆけないって思って。都会に住んでたら慣れたりするのかなって思ってんだけど、全然そんなことなくて(笑)逆に息苦しくなっちゃって。」

 いつかは地方で暮らしたいという漠然とした思いはあった神村さんは、そこから地方で暮らすことを具体的に考えはじめる。木曽に住んでいた頃は生まれ育った場所が地方だったけれど、今度は自分の意志で地方を選択する。

 「木曽で暮らしていたときから地域おこし協力隊の存在は知っていて、若い方々が地方に来て活躍していたから、ちょっと憧れのようなものはありましたね、かっこいいみたいな。それで、まずは田舎の事情もわかりやすい、知ってる長野県の求人から探してみようって思いました。前職で一緒に働くスタッフの人材育成もしていたので、そこで育成ってすごく楽しいってことを実感してて、そしたら駒ヶ根にちょうどいい求人があるじゃんって思って。たいてい教育系の求人って教員免許などの資格が求められるものが多いんだけど、駒ヶ根市の募集要項にはそれがなく、挑戦できると思って飛び込んでしまった…」

 「しまった…」とは?という問いには「ついつい言葉に本音が…(理想と現実があまりにもかけはなれていて)」と苦笑しながら、実際に学校教育の中で高校生と地元の人たちを絡めて人材育成をしてゆく難しさも実感しているという。と同時に未来に向かって1歩ずつ進み、挑戦できることは楽しくもあり、やりがいも感じている。

 神村さんの中には、かつての自分自身と高校生の姿を重ね合わせ、佐藤さんみたいな存在になれればという直感にも似た、イメージがあるようだ。人の記憶に残るものは、一方的に教えられるものではなくて、一緒に楽しいことを全力で楽しんでくれる大人がいた、そんな記憶なのかもしれない。

 

 高校生の人材育成事業ウミガメプロジェクトでは高校生と地域の人たちを結ぶ懸け橋のような存在だと自身の仕事を表現する。

 「この地域から出てゆく出ていかないはその人の判断なのでそれに対してどうこういうわけではないんですけど。ただ、地域のことを知らないで、田舎に見切りをつけて出ていってしまうのはもったいないので、もし田舎でもこんなことができるとか、居場所があることがわかっていたら、そういうきっかけが地域環境を通じて伝えることができたら、この地域が子どもたちの将来の選択肢の一つになってくると思います」

 

 今の高校生については「とても素直で純粋なんですよね」と話す一方、「わたしたちが高校生の頃と比べて、あまりに情報量が多すぎるような気がします。与えられる情報だけで満足してしまって、自分からつかみにとりに行くきっかけが少ないのかな?」とかつての自分と比較しながら神村さんは話します。

 今の時代に起こる情報格差は、昔でいう情報格差とは違う。昔(ネットがそこまでない時代)は地方にいると情報が入ってこなかった。今はどこにいてもネットを介して情報を得られるようになったからこそ、情報をどうやって自分で取捨選択して、必要な情報を選び、自分の能力として身に着けていけるかということが試されている。そんな時代に高校生である子たちと交わる大人たちの様子はどうか?

 「関わってくださる方々はとても熱心に生徒たちに多くのことを教えてくれています。講師という立場は初めての方が多く私も含め試行錯誤しながら進めている感じです。その中で生徒のために何ができるのだろうとみなさんひとりの大人として考えてくれている姿がとてもうれしいです。地域にも若い方と一緒に活動したい方は多いように感じます。」

 ネットの中にある情報だけがすべてではないし、都会に比べると田舎は仕事のバリエーションも少ないけれど、田舎でもおもしろい試みをしている大人はいるはず。それに地方という小さい規模感だからこそ、なにかをしたときのインパクトや反響をよりリアルに感じられることは田舎ならではのメリットでもある。そのあたりにひとつの突破口があるのかもしれない。

 

 地域おこし協力隊の任期後のビジョンに関しては、「最初のビジョンとしては卒隊後もこの事業をもらってやってゆけたらなと考えていたけれど、それはあまり大事ではなくなってきて、もう少しいろんな切り口からできることはないかなと。わたしけっこう人の話を聞くのが好きなんですよね。今、人に話を聞いてもらうことを求めている人が多いと聞くので、話を聞くだけで気持ちが軽くなるなら聞くよという。そういうのを仕事にできたらというイメージがあります。」

 

 人材育成事業は、その成果だけではなく、過程でどんな経験をしてなにを獲得するかが大事なこと。例えば、10代後半の子たちが駒ヶ根市内を使ってとことん遊んでみる。子どもだけでなく、大人も本気で楽しんでいる姿を見せること。そういう機会が子どもたちにとっての居場所になり、人生のなにかのタイミングで立ち返る場所になり、これから駒ヶ根に戻ってくる人たちの活躍できる場所づくりにもつながる。

 「わたしが活躍できる場所づくりが未来の若い人たちが活躍できる場づくりにつながっているんです」

 そう話す神村さんのウミガメプロジェクトは世代を超えて続いてゆく。

​神村絵理香 Erika Kamimura

 長野県木曽町出身、コロナ禍をきっかけに東京からJターン。現在は駒ヶ根市の地域おこし協力隊として高校生の人材育成事業「ウミガメプロジェクト」を担当。

​ 感謝・挑戦・楽しくをモットーに活動中。趣味は現在探し中。新たなことへの好奇心旺盛。

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