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INTERVIEW.09

岡田萌さん Moe Okada

​#山岳観光 #地域おこし協力隊 #ゲストハウス

 2023 年 6 月より、山岳観光のミッションのもと地域おこし協力隊として活動している岡田萌さん。大学在学中に出会ったワンダーフォーゲル部での活動や山小屋やゲストハウスで働いた経験、社会人経験を経て現在に至るまで、そして、これからの展望を伺いました。

 

 生まれは神奈川県、その後、親の仕事の関係で小学校へあがるタイミングで北海道へ家族で移住、高校まで北海道の江別市で暮らしていたという岡田さんは、大学進学のタイミングで京都へ移り住み、建築系の専攻をする。

 「一応、建築系の勉強していたのですが、いわゆる建築学科というガチガチの建物をつくるっていう建築ではなくて、構造力学やランドスケープデザインなど幅広く勉強していました。その中でわたしが専攻していたのが環境心理行動学っていう分野で、例えば、単純にエアコンを入れれば涼しくはなるけれどエアコンに頼るだけではなくて、ひとは風鈴の音を聞くと涼しく感じたり、赤い色を見ると温かく感じたりすることもあって、そういう五感がどういうふうに住生活に影響するのかを勉強していました。」

 住宅や環境にもちはじめたのは、中学生の頃に出会った「13 歳のハローワーク」という1 冊の本の中にあったインテリアコーディネーターという職業。

 「総合学習でその本を読んで自分の将来について考えましょうという時間があって、そこでインテリアコーディネーターという職を見つけて、そういう内装を考えるのが楽しそうだなって思って。当時はニトリのチラシを見ながら部屋のレイアウトとかを想像してました(笑)」

 

 大学では住宅分野の勉強をしつつ、サークルはワンダーフォーゲル部に所属。もともと小さい頃に家族で行った山登りだったり、キャンプをして楽しかった原体験もあって、自然と親しむ活動に惹かれた。

 「北は北海道から、南は沖縄までいろんなところへ行きました。一番印象的に記憶に残っているのは初めて 3,000mを超えたときでしたね。空がすっごく青かった。甲府から入って南アルプスの北側を歩いたんですけど、甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳と、一回降りてから間ノ岳と北岳を縦走して。本格的な登山もはじめてってこともあって、予行練習もしましたし、天候が雨からはじまったんですけど晴れたときに絶景がひらけて、山のいろんな顔が見られたのが印象深かったです。」

 大学4年間在籍したワンダーフォーゲル部での経験が、その後の岡田さんのキャリアを変えるきっかけとなる。

 大学卒業後は新卒で大阪の企業に就職し、住宅の部材を提供しながら工務店の支援をする仕事を担う。部材を売るだけでなく、構造計算からプラン提案、営業マンの研修サポートまで幅広く行ってきた。その中でも主に岡田さんが担当していたのが商品企画とモデルハウスの提案で、その業務を丸 5 年続けた。

 「もともとインテリアコーディネーターに興味があったんですけど、新卒でインテリアコーディネーターをとるところってあまりなくて。当時は営業か設計の 2 択みたいなところがあって、でも営業は建築の知識はあまり求められなくて、かといってがっつり設計をやってきたってわけではないので設計職にもはまらず、ちょうどいいところで商品企画に落ち着いたというところです。

 工務店さん向けの提案をずっとしてたので、実際の提案した家に住むお客さんの顔が見えなくて。だから誰のためにこのプランをつくっているのだろう…と思うところがあって、でも会社の事業内容的に直接個人のお客さんにプラン提案するようなことはできなくて、やりがいを感じにくかったです。働く環境としては、部署のひとたちには恵まれていましたし、土日休みで、福利厚生もしっかりしてて、とてもよかったんですけど…」

 

 新卒からの 5 年間を経て、岡田さんが次の転職先に選んだのが不動産会社のリフォーム部門だった。

 「お客さんのプランをやりたいという思いがあって。中古マンションを購入したお客さんのリフォームの相談、提案設計をしていました。」

 念願のインテリアコーディネーターの仕事に近い業務ができるようになった岡田さんではありましたが、これまでの経験してきた法人相手と一般のお客さんとの仕事のやり方では異なることは多く、戸惑いが生まれます。

 「実際、お客さんと接したり、現場を見たときに、自分の技量が全く足りなかったです。それをまわりのひとにフォローしてもらえる環境でもなかったので、自分自身がわかっていないことがわかっていない状態で、ただただ力量不足だけを痛感していて、だからといって何を相談したらいいかもわからず、それでモヤモヤしてしまった感じです。」

 そうして岡田さんは 3 社目への転職をする。

 

 3 社目はマンション管理会社のリフォーム部門へ配属。管理しているマンションを違う不動産屋が購入して再販するときにフルリノベーションをする仕事だった。リノベーションの設計と施工管理、その合間に個人のお客さんへのリフォーム提案や設計なども担当した。

 これまで話を聞いていて思ったのは、岡田さんは仕事で壁にぶち当たるたびに自身のことを観察、分析し、準備をしてまた歩みを進める。それはまさに山登りで培われた事前準備や予行練習の大切さに通じていることなのかもしれません。

 会社員生活 8 年を迎えた頃、仕事の忙しさから体調崩した岡田さんは、一旦会社を離れる決断をする。約1年間のアルバイト生活をする中で、山小屋でアルバイトをする機会に出会う。

 「学生の頃から、山小屋の住み込みバイトをしてみたいという憧れはずっとあって。夏休み中の1 カ月間、山小屋でのアルバイトをしていた 4 回生の先輩がいて、やってみたかったなって思いはずっとあったんですよね。それで、やるんだったら転職する前の今じゃね?みたいなのがあって、会社を辞めて、3 ヵ月山小屋で働きました。会社を辞める前に体調が優れなくてしばらく会社を休んでたんですけど、休んでみてわかったけれど、わたし、休み過ぎると精神衛生上よくないことがわかったんですよね(笑)。社会とのつながりがなくなると、わたしなにしてるんだろうって思うようになって。それで山小屋のアルバイトを見つけて応募して働きはじめました。」

 

 岡田さんが 3 ヵ月働いた山小屋は、北アルプスの槍ヶ岳の近くにある南岳小屋。タイミングよく山小屋バイトが見つかったんですね、に対して、「実は、以前から山小屋のアルバイトの募集があるタイミングは知ってたんですよね」と確信犯的にはにかむ岡田さん。

 3 カ月間の山小屋生活はどうでしたか?という質問に対して、「ずっと山の上にこもってました。下界には一回だけおりました」と山での生活を満喫していた様子。

 

 実際の山小屋の仕事は次の通り。

 早朝 4 時起床。朝ごはん準備、5 時に朝ご飯提供。6 時頃から掃除、布団を屋根の上に干す。お昼ご飯営業の準備、12 時からチェックイン開始、カフェ営業、名物の豚汁の仕込み。お昼ご飯営業が 14 時頃に終わって夜ご飯の仕込み。夕食を食べたら片付け、20 時に消灯。それをスタッフ 5 人(休みの人もいるので実質 4 人稼働)、山小屋定員 45 人を回してゆく。

 「やることはいろいろあったけれど、生活の拠点が下界から山小屋に移っただけで、ふつうに生活してるって感じでした。自分の家に友人(登山客)を招いている感じ。」

 山小屋でのアルバイトのときのご縁で、冬にゲストハウスの住み込みバイトの声がかかり、冬の野沢温泉村へ。ゲストハウスに住み込みで 2カ月間働く。

 「山小屋から標高が変わっただけで、ここでもやってることは同じ(笑)食事提供がない分、より『ふつうに生活してる』感覚でした。」

 

 「野沢温泉から大阪へ帰ってきて次、どうするかなって考えて。一瞬、建築の道に戻ろうかなって考えたり、実際面接を受けたりもしたんですけど、しっくりこなくて。そうなると会社員生活の間ずっと住んでいた大阪にもはやいる理由がないなと思って、そこで地方移住もいいんじゃないかって思ったり。山小屋やゲストハウスで働いた実感から、自分でゲストハウスをやるのもいいんじゃない?と思うようになって、そういうときに地域おこし協力隊の募集の情報を見つけて応募しました。」

 そうして駒ヶ根の山岳観光の地域おこし協力隊に採用され、2023 年 6 月から駒ヶ根生活がスタートした。

 「駒ヶ根には、大学のときに中央アルプスを縦走したことがあって。そのときは木曽の方から入って空木岳から降りてきて、駒ヶ根では温泉に入りました。だから駒ヶ根っていう場所は知っていて、ロープウェイがあって、温泉があって、観光のメインがそこなんだなってのはイメージできてました。」

 

 働きはじめて 8 か月。まず住んでみての感想はいかがでしたか?という質問には

 「意外と便利。どうしても都会と比べると地方って…と思われがちだけど、わたしの場合は地元(北海道)と近いなって思って。それに地元よりも徒歩 10 分圏内にスーパーも薬局もホームセンターもあって、生活に必要なものがそろうから、全然暮らせるなって。車は買いましたけど。」

 仕事の内容的にはどうでしょう?

 「思ったよりも山に行くことが多いなって思いました。ライチョウの保護活動や研修登山の案内、高山植物の情報をSNSで発信しながら、この時期にこんなん咲くんや、めっちゃきれいやんって思ったり。だから今までプライベートでやってたことが仕事になってて、すんごい楽しみながらやってますね。」

 

 かといって、山の仕事をこのままずっとやり続けるつもりはないとも言い切る岡田さん。山の仕事はどうしても夏の仕事に限られる。地域おこし協力隊の任期後も見据えると、冬の間の仕事をどうするか、通年で生計を維持してゆくことが課題となってくる。

 「駒ヶ根は、本当に山と下界(市街地)が近いから、わたしの場合は主軸は街に置いて、可能な限り山に関わる感じでできたらと考えています。」

 そうして岡田さんが街に主軸を置こうを思ったときに思い浮かんだのがゲストハウスをやってみたいということだった。

 「イメージ的には下界の山小屋なんですよね。」

 岡田さんはさらりと街のことを「下界」と呼ぶ。お話を伺っている際、隣にいた地域おこし協力隊の方々から「下界?ゲカイ?」とささやく声が。山登りのひと特有の下界ということばの使い方に「下界って名前のゲストハウスしたらいい!」「下界Tシャツやシールをつくろう!」と冗談半分、でも意外と面白いんじゃないか!?と盛り上がる。

 

 「山小屋にいたときもそうだったんですけど、お客さん同士で山トークで会話が盛り上がっていたりしたので、そういうのを下界でつくれたらなと思います。わたしも山登りの経験があるので思うのですが、下山後はその土地の、地のものを食べたいなと思うので、地元の居酒屋さんとか紹介したい。」

 山好きの人たちにとって、この地域の入り口となり山登りの出発地点であり、帰ってくる場所にもなりうるゲストハウス。中央アルプスという同じ山を登ったもの同士、山の話も弾むのでしょう。そして、その中心には山好きオーナーの岡田さんの姿が想像できる。

 岡田さんの任期はあと2年。今後も地域おこし協力隊として山岳の仕事をしつつ、ゲストハウス開業に向けて準備をしてゆくつもりだという。住宅に関わる仕事をしていたことも、休職・転職した時期に自分自身を見つめ直したことも、山小屋やゲストハウスで働いたことも、山岳の業務をしている現在も、すべてが岡田さんの未来につながる必要なピースだった。ゲストハウスで楽しく働く岡田さんの姿が見られるのもそう遠い未来ではないのかもしれない。

​岡田萌 Moe Okada

 北海道江別市出身、大学進学を機に関西へ移住。大学でワンダーフォーゲル部に入部し、山の魅力にハマる。大学卒業後も大阪で住宅関係の仕事をする傍ら、趣味として登山を楽しむ。学生時代からの憧れを捨てきれず、令和4年に当時勤めていた会社を退職して約3カ月間山小屋でアルバイトした経験があり、現在は駒ヶ根市の地域おこし協力隊として山岳観光推進の仕事に取り組んでいる。大好きな山が身近にある生活に、日々幸せを感じている。

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