移住、その先のこと
90年代半ば「半農半X」という言葉が生まれ、田舎に移り住んで農的な営みをしながら、同時に自分のやりがいのある仕事に携わるライフスタイルが注目されはじめました。農業兼フリータイター、農業兼整体師、農業兼カフェ店主などなど、さまざまな組み合わせをもってよりよく生きて自己実現を目指す流れでした。
でも、まだこの頃は移住という言葉も今ほど浸透しておらず、地方へ移住するなんて、ちょっと物好きだなぁっていう見方が多かったように思います。
それから20数年、今や毎週末のように首都圏を中心とするエリアでは移住イベントや相談会が行われ、その会場には若い世代から、子育て世代、シニア世代までたくさんの人々が訪れています。移住という生き方が限られた人だけに共通する価値観や考え方ではなく、多くの人に開かれた、生き方のひとつの選択肢となってきています。
今回は駒ヶ根市の移住・定住促進の業務に携わる商工観光課 移住・交流促進室室長の吉澤淳さん(当時)と移住相談員の桑原あゆみさんにお話を伺いました。
おふたりの言葉を通じて現在の駒ヶ根の移住事情、そして、これからの移住や定住にまつわるあれこれが見えてきました。
コロナ禍前までは市の単独セミナーを年に4、5回開催していた駒ヶ根市。その後、セミナーの参加者を駒ヶ根の四季や祭り事、地元の名物を味わってもらう体感会に招いて、より地域を知っていただく機会を設けていました。それがコロナ禍になって移住検討者の方々と最初の接点や相談内容も変わってきたと室長の吉澤さんは話します。
「(移住検討者の方たちは)自分たちで調べて直接窓口へ来るっていうのが増えてきているなって気がしています。相談内容の傾向にも変化があって、私がこの部署に入った4年前は、やっぱり仕事を求めていて、仕事を紹介して欲しいという話が割合多かったですね。それが、コロナ禍になってからは暮らしぶりに、どんな家があるのかとか、どんな生活ができるのかっていう傾向に変わってきました。」
「家を中心に考えている方が多い印象で、自分の理想とする住まいや暮らしができるかってところが移住の検討材料として、優先順位が上がってきていると思います」移住相談員の桑原さんも続けます。
コロナ禍による、これまでのライフスタイルの見直し、またリモートワークといった場所に縛られない仕事を可能とする技術の進歩やよりよく暮らすことの価値観の変容など、時代の予感を移住窓口にいる2人は感じているようです。
これまでは移住イベントといえば、駒ヶ根の情報を伝えることに注力していた傾向も、現在は移住者の方の想いや考え方を知るスタンスへとシフトしてきている兆しがあるようです。2023年2月に東京のふるさと回帰支援センターで開催された駒ヶ根市の移住イベントでは、従来のセミナー形式ではなく、イベント参加者を交えて意見や感想を交換できる座談会形式を取り入れたのもその変化への対応のひとつなのでしょう。
また近年は、空き家バンクの認知度があがってきたこともあり、空き家バンクへの問い合わせから移住相談になる流れも多いようです。
2023年度からは市と民間が協働で運営する信州駒ヶ根暮らし推進協議会のホームページでも空き家の情報発信に力を入れている。従来の物件写真数枚と間取り図だけの情報開示だけではなく、実際に物件を訪れたときの感想や魅力、具体的にリフォームが必要な箇所など、購入を検討するにあたってのよい面も、理解していただくことが必要な面も、丁寧に発信してゆくことで、その物件での暮らしをより具体的にイメージしてもらえるような取り組みとなっている。
さらに来年度からは中古の売買物件だけでなく、賃貸の戸建てのニーズに応えた情報発信にも力を入れてゆく予定もあるとのこと。
「(リアル体験住宅を駒ヶ根市はつくってはいますが)最長1ヶ月の利用ですので、もう少し長期的に、やっぱり少なくとも1年くらい、まずは賃貸でスタートして、春夏秋冬を味わって暮らしてみて頂くと、定住への検討材料も増えると思うんですよね。そういったことも今後の移住定住政策の課題です。」(吉澤さん)
移住してきて、まだ地域のことを知らない段階で、いきなり家を購入するのは経済的にも心理的にもハードルが高いですが、まずは賃貸で田舎の暮らしを実感してもらい、ここでの生活がよりリアルに想像してもらえるようになったら家の購入を検討してもらう。そういった流れは移住者と地域住民のゆるやかな相互理解につながり、ゆくゆくはそれが双方にとっての良好な関係、移住者の定住へとつながってゆくのでしょう。
移住検討をする際に、住まいや仕事以外に検討材料としてあがってくることはどんなことでしょう。
「子育て世代だと学校の話題ですね。小学校によっては、地域の方が前向きに協力してくださっています。あまり有名になっていないだけで、木炭づくりとか、キノコの菌打ちしたりだとか」(桑原さん)
「田んぼも、田植えとかやったり。保育園も、全ての保育園が山保育認定されていますので。あと、保育園にも当たり前のようにプールと庭がついていて、都会の方から見るとそれって珍しいらしいことみたいで、われわれも気づかなかったんですけど、プールがあって庭があるだけでそこだけで感動してくれたり、小学校と中学校のグランドが広いとか、2つあるとか、都会ではないことがあると。でも、そこをPRするっていう発想がなくって、当たり前だったもんですから(苦笑)」(吉澤さん)
この地域で生活していると当たり前すぎて気づかないことも、外からの視点で見ると魅力となるポイントはまだまだあるのかもしれません。吉澤さんと桑原さんは、日々そんなことを移住検討者の方々との会話の中から拾って、次の移住者案内のヒントとして蓄えてゆく。
実際に、駒ヶ根市へ移住された方々の、移住後のサポートはどういったことをされているのでしょう。
「そこは今後の課題でもあるんですけど、今年度からやっている朝ごはんの会では、移住してきた方と地域の方々が集う場所になってきています。日々の生活での困り事や相談事など、互いに手持ちの情報を共有して、ゆるやかなつながりが生まれはじめています。
あと、各地域では以前からやっているところがあって、小町屋区では毎年2月に、移住者だけでなく、市内の方でも小町屋区に家を建てられた方を集めて、区長自ら区の説明をして理解を求めてもらうとか、交流を深めているところもありますね。こういった地道なやりとりが、本当にお互い信頼しあっている関係を築いていて。そういう信頼がゆくゆくは移住者が定住者になってゆくことにつながると思います。」(吉澤さん)
吉澤さんと桑原さんの話を聞きながら、駒ヶ根らしい移住、交流、定住ってなんだろう、ということを考えていました。もしかしたら「らしさ」というものは、自分から発信するものではなくて、まわりの人が与えてくれる感想や印象だったりするのかもしれない。だからできることは、目の前の人の話に耳を傾け、目を澄ます、その繰り返し。そんな地道な作業が、駒ヶ根で新しい暮らしをはじめたいという誰かの背中をそっと押すことがあって、それが“わたしたち”の暮らしにつながってゆくのでしょう。