INTERVIEW.06
梶田直さん Nao Kajita
#テレワーク #地方移住
昔ながらの街並みが広がる市街地。その中心となっている駒ヶ根駅前を歩いていると、「なんだろう?」と思わず足を止めてしまう場所がある。全面ガラス張りの外観、中を覗くとスタイリッシュな空間にラフな私服姿でPCに向かう人々―「テレワークオフィスKoto」だ。今回はその代表を務める梶田直さんにお話を伺いました。
梶田さんは千葉県出身、移住前は東京でサラリーマンをしていた。
クラウドソーシングサービスの運営会社で働いていたときに、駒ヶ根市でテレワークオフィスを立ち上げる計画が持ち上がり、ちょうど東京を離れても良いと考えていたタイミングでもあったため自ら名乗りを上げた。
東京を離れたいと思っていたのには3つの理由がある。
一つ目は仕事のこと。IT業界は若くてクリエイト力も大きな人材が主軸で活躍していて、自分が40歳を迎えたあたりから今の仕事でキャリアを積んでいく姿やサラリーマンとして働くイメージが湧かなくなった。一方で流動性が高い業界ということもあり自身もこれまで5社ほど転職をしていてスキルの幅は広がっていたので、一人で経営していくことも含めて今後の生き方を考えていた時期だった。
二つ目は子ども。病気を抱えていたこともあり、小学校から塾に通って受験をするのが当たり前という東京の環境で、このまま学校生活を送れるのか不安を感じた。ただ地方は地方でやはり選択肢が少ないという課題もあり、例えば駒ヶ根に来てからも健康上の理由でなかなか学校へ行けない状況にあるが、そうなったときに学校へ行けない子どもが活躍できる居場所はどこにあるのかとか、他にも学力によってほぼ学校が決まってしまうこの辺と違って東京だと部活で選ぶこともできるとか。「人生の岐路にさしかかったときに都心の方が圧倒的に選択肢が多いのは否めないです。自分なんて女の子のセーラー服で学校を選んだぐらいですから(笑) 教育という観点では都会と地方とどちらが良いのかは正直なところ分かりません」と語る。
そして三つ目は個人的なことだが、東日本大震災が起こった頃から東京一極集中の危機感を抱くと同時に、徐々に東京に対する面白さを感じなくなった。「2013年ごろからインバウンド絶対主義のような文化が著しく強くなり、銀座の商業施設では1着60万するジャケットなどが売られるようになって。そこに暮らしている人は買わないのに、誰のための場所なんだろうと思うと関心が薄れていきました。まぁ自分自身が十分遊び倒したので飽きてしまったというのもありますが(笑)」
こんな想いを抱いていたタイミングで舞い込んだ地方オフィス立ち上げの話。色々なことがトントン拍子で進んでいった。
テレワークとはICT(情報通信技術)を活用した時間や場所に捉われない柔軟な働き方。「今は正社員が家で働くということの総称になっていたり、どこでも仕事できるDXみたいな意味合いもあります。」
オフィス立ち上げ当時はテレワークを誰も知らなくて「電話を使う仕事なの?」など言われたりもしたが、今はコロナの追い風もあり、だいぶ認知が広がってきた。一方で依頼元の企業はほぼ東京の上場IT企業や国立大学や国の研究機関ばかり。駒ヶ根は製造業が多く、アウトソーシングする文化や意識がないそうだ。「人は雇えないけど専門性の高いことを求めるときに利用してもらいたいし、本質的にはこのエリアのリソースを地域内で活用できれば理想ですが、浸透するにはまだまだ時間がかかると思っています。」
駒ヶ根駅前という人や車通りが多い立地で、この地域では珍しい全面ガラス張りの開放的な空間の事務所。当初は会員の人から「通りがかりの人に見られるのは嫌だ」と言われることもあったが、通行人の興味を引くのも認知してもらうための手段の一つ。「テレワークが全く知れ渡っていない中、あえてPCをカタカタやっている姿を見せることで、こういう働き方もあるというのを理解してもらうことも大事だと思いました。」
そのおかげもあってか、立ち上げ6年で現在の登録会員数は300人を超える。収入は人それぞれで中には月に数十万を稼ぐ人もいるが、おおよそ4~5万ぐらいの方が多いそうだ。
「オフィスワークをしたことがない人ばかりだとなかなかテレワークも浸透しないかもしれませんが、実はこうした地方も都市部からの流動が多いんです。元々都会の企業で働いていたけど旦那さんの転勤で引っ越してきたという女性も結構いて、実際に会員の半分以上はそういう方々です。」
子どもが学校に行っている間、遊んだり勉強している間、その傍らでPCに向かう。自分の時間も上手に確保しながらライフスタイルに合わせて柔軟に働けるテレワークは、地元で子育をする母親達の大きな生活の支えになっているのだろう。
元々は運営会社からの出向という形で働いていたが、現在は事業を引き継ぐ形で独立した。決して独立したい意思があった訳ではなかったが、仕事で人に使われることがなくなったことでストレスがほぼなくなった。また自然の豊かさが関係しているのか、東京よりも毎日気持ちが良く、決して山好きという訳ではないけれど、これだけスケールの大きな山に囲まれていると純粋に凄いと感じる。毎週末には市内をぐるっと15㎞ほどジョギングしたり、家では薪ストーブの暮らしも満喫。「薪の準備は大変さもあるけれど、近所の人と共同で薪割機を買ってアクティビティとして楽しんでいます。家の中が本当に暖かく実用的な部分で圧倒的におすすめです。」
今後について尋ねると、「いつかお金が貯まったら一度海外に住んでみたいなと思っています。」と軽やかに答える梶田さん。「人生一度きりだから経験してみたいことの一つです。ただ東京や国内の他のエリアに行きたいかといわれると、例え良い話があってもおそらく駒ヶ根は離れないんじゃないかと思います。ここの暮らしが心地よいので、今後もずっと何かしら関り続けるでしょう。多拠点生活など、色んなところに自分の居場所を作れる生き方ができたら良いなと思っています。仕事もそれができることをやっているので。」
生まれた場所である千葉も両親のルーツではないので、自分にとって「ふるさと」という感覚の場所はなく、良く言えば柵のようなものもない。この先何があるかも分からないからこそ、自由にしなやかに生きることを大事したいそうだ。
「あと自分たちが子どもの頃は、良い大学出て大きな企業に勤めて…みたいなステレオタイプがあって何も考えずにその道を進んでいたりしたけれど、今の時代は正解というかそういったレールがないので子ども達もある意味で生きにくい世の中になっていて、親である自分が『やりたいことを見つけなさい』と求めるのも酷だと感じています。」
情報にあふれ、不確定要素が多すぎる時代で何が正しいかなんて誰にも分からないけれど、働き方だけではなく生き方自体が千差万別になるに今、「移住して、朝仕事して、昼間は好きなジムに通って、それでも毎日こうやって暮らしている。こんな生き方もある、こんなやつもいるという一つの生きるケースとして若い世代に体現していく、伝えていくのが自分の役目なのかなと感じます。移住促進というよりは、『生き方の一つとして都市部を離れる選択肢がある、人生のより良い選択をするために移住を選ぶ』ということなのかなと。」
駒ヶ根という場所に拘っている訳ではない梶田さんだが、「きっと自分の子ども達も大人になったときに駒ヶ根で良かったと思える場所なんじゃないかなと思います。」と語る。この豊かな自然環境もそうかもしれないが、一番は自分に正直に、自分らしく生きる梶田さんのような父親の姿を通して、この地への愛着を感じてくれるのではないかと話を聞きながら感じた。
都心にしかないもの、地方にしかないもの―それぞれ置かれた環境の中で唯一の価値に触れながら次のステップへの糧を自由に見つけてゆく。取材をしながら今の自分の生き方とも重ね合わせる部分があって、すっかり背中を押してもらった気分になった。
梶田直 Nao Kajita
千葉県松戸市出身。大学卒業後、都内の人材派遣会社やIT企業、クラウドソーシングサービス企業などでキャリアを積む。2017年、駒ヶ根でのテレワークオフィスの立ち上げを機に新天地へ。自身もテレワークという自由な働き方で日々の暮らしを楽しんでいる。